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目からウロコ 

平成の大遷座祭を記念した金刀比羅宮の講演会で興味深い話を聞いた。江戸~明治にかけて、社寺はギャラリーだった・・・と。お話をしていたのは、東京大学・文化資源学の教授・木下直之さん。

その当時「一生に一度は・・・」というくらい日本人の憧れの的だった社寺はお伊勢さんか金毘羅さんしかないから、金刀比羅宮の財力は相当の物。それで「文化のパトロン」として高橋由一に財政援助したり、伊藤若冲・岸岱・丸山応挙などに障壁画を書かせたり・・・と、それだけ聞けば単に金持ちの贅沢三昧に聞こえるが、決してそうではないらしい。

「文化には金がかかる」のは動かし様のない事実。だからこそ社寺のような圧倒的な財力の持ち主しかパトロンたり得ないのは当然。ところが、金刀比羅宮の場合それを庶民に開放する方向に向くのが面白いところ。明治の初期に3回の「琴平山博覧会」を行い、世界中からあらゆる分野の名品・珍品を集めて披露しているのだ。目録の中には、その当時の常識では考えられない「男・頭蓋骨」なんてのもあって、相当ぶっ飛んだ「アナーキー」な博覧会で、みんなの度肝を抜いたらしい。今でもそうだよね!?今回の遷座祭に向けての金刀比羅宮のテーマは「ニューこんぴらさん」であり、キャッチフレーズが「エブリバディこんぴらさん」だもんね!これもはっきり言って度肝を抜かれた。

考えてみれば、ヨーロッパのハプスブルグ家とかブルボン王朝とか、確かに同じように文化のパトロンではあったとしても、それはあくまで内向き。単なる自分の贅沢なので、いつかマリーアントワネットのように斬首台の露と消えねばならないときが来る。

さて、木下教授の話に戻ると、社寺が当時の「ギャラリー」だったのを端的にあらわしているのは「絵馬堂」という。奉納された美術品とも言える「絵馬」はそこに永く展示され、多くの人の目にとまる。だから芸術家は社寺に作品を奉納したがる。しかも、それが日本の社寺の最高峰の一つ、金刀比羅宮ともなれば尚更の事。なるほど・・・こんな僕の下手糞な写真でも「奉納品」とあれば末永く展示してもらえるんだ!

その「絵馬堂」も各地の社寺では段々と姿を消しているという。木下教授のお気に入りは金沢の尾山神社の絵馬堂だったそうだが、毎年訪ねていたのに、ある年忽然と姿を消して「利家とまつ」の銅像に変っていたとか・・・トホホである。

そういう意味では、金刀比羅宮は「絵馬堂」が絵馬堂として健在である稀有な存在だとか。更に本来「絵」ではなく「生き馬」を奉納する物だったのが、木馬(ブロンズ馬)、絵馬と簡略化されてきた歴史の中で、今でも「生き馬」が奉納されているのは金刀比羅宮と、大阪の住吉大社など、全国でもほんの数社寺しかないらしい。

更に、木下教授が金刀比羅宮に関して一言言うなら「神社らしくない」ということ。行ってみれば分かることだが旧社務所のある広場に見上げるほど大きな「スクリュー」が置いてある。こんなもの「奉納する方も奉納する方だが、受け取る方も受け取る方だ」・・・とか(笑)。確かにそうだよな~

「金刀比羅宮のすべて」という平成の世の「博覧会」を開催中の金刀比羅宮。僕のオススメは一番地味な「学芸参考館」。人魚のミイラあり、船の模型あり、民芸品あり、子供の工作あり・・・で怪しさ大爆発。要するに何でも有りだ。この雑多な空間こそが庶民信仰の神様、金刀比羅宮の真骨頂だと、木下教授でなくとも直ぐに気づくはずだ。

乱筆ゴメン。来週の講演会の講師は、怪人・赤瀬川原平である。

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