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ひまネタ御免16・「瞼の母」 

彼女は、今の家に引っ越す時、嫁さんの「夢」として犬が飼いたいからと、当時の近所から頂いてきた、立派な雑種だ。

嫁さんが、前の家の近くに行った時覗いて見たら、なんと、その「母親」がまだ生きていたらしい。娘が「ちょことお母さんを会わせてやりたい」と頼むので、その家と連絡をとって、今日連れて行った。ちょこからしてみれば9年ぶりに会う「瞼の母」だから、もしかしたら、さぞかし感動的なシーンが見られるかもしれないとカメラ持参で連れて行ったところ・・・

車からちょこが降りた瞬間から「瞼の母」は「瞼の姉」と共に歯を剥き出しにして、散々吼え散らかしたとさ。ちょこは、ちょっと萎れていたそうだ・・・

ちょこ、9歳・・・人間なら63歳位か?母親は、最低1-2年年上と考えると、7-80歳の大御婆ちゃんという事になる。「感動の再会」には時間がたちすぎていたか。



嫁さん曰く「メス犬にはギャンギャン吼えるちょこが、今日は一言も吼えなかったから、ちょこの方は判ってたんと違うかなぁ?」って、どんなモンでしょう?

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一周年 

・・・でした、「ふ」と思えば。

相変わらずマイナーなblogですが、二年目もマイペースで行こう。

富士山にて・その2 「針葉樹の花火」 



毎回、そりゃしんどいですよ、この年になって山登りなんて・・・。秘密兵器「食べる酸素(後に詳述します)」のお世話になりつつ、何とか登り切ったという感じ。でも、一番しんどいのは何処だと思いますか?

それは「奥庭」からバスの待つ駐車場へ上がる数百メートルのコンクリートで固められた坂道でした。それまで散々坂道を登ってきた所為もあるけれど、固い地面は足を降ろした反発力を全て足に返してくるから。でも一番は「人工物の上を歩いている」という心理的なものじゃないでしょうか?

肩で息をしながら登る道の脇では、樹形が変わる程吹き付ける強風に耐えつつも、花火の様に鮮やかな新芽を広げる針葉樹の若木が僕らの心を癒してくれる。

破壊者たる僕ら人間に対しても、何故、自然はこんなに優しいのでしょうか?

富士山にて・その1 「苔は偉い」 



富士山に行ってきました。かれこれ3回目ですが、いつも山頂までは行かず、3-5合目。でも僕はこのトレッキングが大好きです。というのは、5-6合目以上は完全なガレ場になっている富士山は、ほとんど「苦行の道」といって良く、豊かな自然を楽しむにはこれが最高なのです。

火山性の石(軽石)で覆われた富士山には水が溜まりません。なのに6合目までは豊かな緑を保っています。それは何故でしょうか?

答えは「苔」が水を保つ役目をしているからです。そして、風雪に倒れた木が新しい木の命を育むゆりかごになるからです。

栂などの針葉樹が多い富士山では地面付近では陽が当たりません。しかし倒木があればそれだけ地面から高い位置が確保され、日当たりの面で有利になります。そこに何十年かの内に苔がむし、その上に他の木からの種子がふんわりと着地すると・・・

新しい種子は苔から水分を貰い、倒れた親木から養分を貰い、日当たりを助けて貰いながらすくすくと育ちます。これを「倒木更新」と言うそうです。倒木更新で育った木は、親木が朽ち果てると崩れ去って、その部分が根上がりの状態になるのですぐ解ります。ガイドさんに教えて貰いました。

ここで、ある苔玉作家とお話ししたときのことを思い出しました。曰わく「苔ってジメジメして、なんだか命の終わりを象徴してると思うでしょう?実は命の始まりなんですよ」

そしてガイドさん曰く「苔って、草冠に台って書きますよね?つまり、苔は草木の土台なんです」・・・

いいお話しですよね?こういう細々とした自然の営みを、人間は勝手なエゴで断ち切ってはいまいか?この「揺りかご」から芽を出した10センチ程度の若木を見ながら、しんみり考えてしまいました。

うどんメモ14・岩うどん「丸美家」 

お盆です。嫁さんのお父さんの墓参りに行ってきました。その帰り、家族みんなで立ち寄った「丸美家」。一見、どこにでもある食堂風の建物で、美味しいうどん屋とはとても思えないが、お義母さんも嫁さんも「美味しい」という。事実、お昼時となればかなり混みあうんだそうな。

注文するとうどんとダシがセットされて出てくる、所謂「一般店」という部類で、ますます「ホントに美味しいのかぁ?」と疑念を抱く僕な訳だけど、一口すすってびっくり。

固い・・・岩のように固い・・・

香川の琴南の山奥に、岩のように固い「岩豆腐」というものがあって、あれは数丁買って帰る時は「ひもで縛って」くれるという、嘘かホントかという話があるが、こちらの場合、どんぶりに沿ったRがそのまま持ち上げられ、ダシに入れられ、そのまま口に運べるほどに固い。

それは、まぁ嘘800%だけれどもイメージはそんなところ。固めのうどんが好きな僕は大歓迎。但し嫁さんに言わせると「今日は固すぎ」。

しかし、本当に美味しいのはこのダシ。濃い目の紅茶のようなダシは甘ったるい所は一切なく、でも焼け付くような辛さでもない。とてもしっかりしたダシだと思う。聞けば「じゃこ+こんぶ+かつおぶし」だとか。

この近辺には「長田うどん」という強敵もあるが、丸美家・・・侮れません。



あまりに暑い日が続くので、氷入りの「ひやしうどん」をどうぞ。
場所は、満濃町の人気ベーカリー「カレンズ」から琴平方面へちょっと・・・

地元で買う?それともネット? 

僕は、同じ物が手に入るなら地元で買うべきだと考えている。少々高くついても送料と思えばいい。

そんな考えの僕が、やや特殊な充電池を探している。そう、TCD-D10PROの修理が済んで、いざ使おうと思ったら純正Ni-Cd電池が劣化して20分ぐらいしか使えないので、ちょっとイケナイ事だけどバッテリーパックを殻割りして大容量電池を仕込もうと言う計画なのだ。かといって、僕に充電池の確固たるノウハウがあるわけでもなく、その辺り専門家に気軽に相談できるという点でも「地元で対面販売」という事に拘りたかったんだよね。

ネットで探しまくってたどり着いた結果が「ラジコン用バッテリー」。で、地元のラジコンショップを探してみたら、少ないのなんの。取りあえず電話帳で探して2件ほどピックアップして捜しに行ってみた。

先ず一軒目・・・潰れてる。orz

二軒目、さぁ、ココが今回の問題。
店に入る。バッテリーは見つからない。店主に「あの・・・」と声をかけた。

店主、(客は居ないけど)伝票整理にいそしみたいらしく「なんですか?」とぶっきらぼうな返事。で、バッテリーの殻を見せて「これに入るバッテリーを探しているんですが」・・・

店主、それをチラっと見るなり「バラセル置いてませんから」といってプイッと下を向き、伝票整理再開。僕も何か頭の中でプツッと切れて、「あ、そうですか」と速攻で退出。店内滞在時間・一分以内。子供を車から降ろして入ってきた嫁さんが「もういいの?」と目を白黒させてました。

屋島のR11沿いにあるこの店「●●●●」、僕が高松にきた頃からあるからそれなりに「老舗」なんだろうけど、まぁ、良くこんな態度で店が続けていられるもんだ。それとも、ほかの模型屋が潰れて「独占状態」なのでやってられるのか?「今扱ってませんけど、取り寄せましょか?」とでも言えば「そうしてください」って言ったのに。バッテリーチャージャーも欲しかったから、決して安い買い物じゃなかったんだよ。

冒頭にも書いたとおり、同じものならネットで簡単に手に入る世の中だし、2-3000円も買えば送料も無料って店も珍しくない。そんなご時世に、新規客になりそうな人間が来た時キッチリ取り込める対応をせずに生き残りなどできるものか。いまどき、自作系のPC屋だってもう少し愛想が良いぞ。

このあと、思い出して3軒目に行ったら、ここも潰れていた(orz)。次に潰れるのがこの店と言う可能性は大いにある。

終戦の日を前に 

「零戦に欠陥あり/ETV特集」・・・こういうドキュメンタリーをみると、やはりNHKは流石だと思う。

日中戦争から太平洋戦争にかけて活躍し、戦闘機の代名詞ともいえる「零戦」が、当初華々しい戦果を上げながら、何故後半は惨めな結果しか残せなかったのか?それは、「失敗に学ばなかった日本の文化・思想にある」という事を、海軍と設計者のやり取りの結果を通して実証していくという内容だ。

零戦にあった数々の欠陥・欠点については、結構有名な話(試作機の空中分解事故も含めて)ばかりで、さして目新しいものは無かったけれども、設計副主任・曽根嘉年の想いは手書きのノートから滲むように伝わってきて引き込まれる。何度となく挿入される曽根氏の、少し曇った表情がもの悲しかった。

早く、強く、遠くまで・・・そんな戦闘機を作れという海軍。それは当然の要求だが、それらは互いに相反するファクターでもある。それを満たすには、全ての要求をはるかに凌駕する性能をもった飛行機を作るればいいんだけど、当時の日本の国力では難しい。よって、安全性・耐久性を引き算していくという手段しか残されていなかった。

始めは、向こうも大した飛行機を使っていないから(当時の)圧倒的な運動性能と破壊力で何とかなったが、やがて研究されてより良いものが登場してくると、そうはいかなくなる。エンジンの性能は上げろ→燃費は落ちた→積める燃料を増やせ→弾にあたり易くなる(発火しやすい)。

じゃあ、防弾処理をせよ・・・と行かないのが当時の海軍。研究者や現場のパイロットは「防弾」をずっと訴えたが、例の「精神力でカバーせよ」という、訳のわからない発想でそれは最後まで退けられていく。そんなことをしているうちに現場では次々に優秀なパイロットが戦死していく。そして、挙句の果てには神風特攻隊・・・だ。

性能の劣る道具しか与えられず、どんどん新しい敵と戦わざるをえなかった若き日本の兵士たち(これは海軍・陸軍とも同じ事)。僕は今の世の中を生きる幸せを考えた時、彼らに感謝と畏敬の念を持つ。但し、源田実を始め、「精神主義」のエライサンと、インタビューに「守りが良くても攻撃力が無ければどうにもならんでしょう」と今でも平然と答える海軍担当者にはやりきれない怒りを感じる。彼らは「兵士たち」に贖罪する必要がある。(軍部の責任論や国家間同士の謝罪・賠償問題は別の問題)

「日本を信じて戦った人たち」に敬意を払う・・・なんて書くと「戦争美化」っていわれそうだけど、そんなレベルの話じゃない。その事と「戦争カッコいい!」「戦争やりたい!」なんて子供が育つ事は全く関連性が無い、ありえないと言い切ってもいい。なぜなら、情報はどこからでも手に入る世の中だからだ。

今回のETV特集にも有名な映像が沢山使われていた。アメリカのガンカメラが捉えた空中戦の模様は鮮明で、オレンジ色に輝く機銃弾が零戦の主翼付け根に吸い込まれ、ぱっと火を吹き爆発する・・・坂井三郎著「大空のサムライ」によれば、次の瞬間、本当にそこには何も残らないそうだ。「おいおい、その飛行機には人間が乗っているんだぜ!」と思うと、どうしても涙が止まらない。

戦争が「自国も相手国も、共に傷つける空しい事」だなんて、誰に言われなくても判っている。

2005.8.14加筆

津島神社大祭(Fish in the Sky) 



香川には、8月4・5日だけ参拝できる「津島神社」というところがある。スサノオノミコトを奉る「子供の神様」で、香川県人なら大抵は小さい頃に連れられている筈。この日限りはJRも臨時に停車し、大層賑わう。海岸寺から少し西へ走った三野町の海岸の、250mほど沖合いの小島(津島)に本殿があり、そこへの橋は普段板が外され渡ることも出来ないというから徹底したもの。

そして、今日は「下の子のお参りをするから」と、たまたま勤務が振替休日だったので家族で行って来た。露店が並び、獅子舞の音が響き、まこと、「お祭気分」も上々だが、暑いのなんの・・・今日は香川では35度、全国では38度を記録したとか。

ウチの子供は、比較的大人しく参拝してくれて助かったが、中には大泣きする子供も続出で、お母さんはもう大変。

鯛も、暑さで飛び上がるッちゅうねん!

元祖・カンパン 



香川県・善通寺市は、明治時代、陸軍第11師団が置かれ、その師団長としてあの乃木大将も赴任していた事がある。

そんな「軍人さん」が携行食として持っていったのが「カンパン」こと「堅パン」。今、カンパンといえば、カロリーメイトとビスコの中間のような形をしているし、口当たりもビスケット感覚だが、「本物のカンパン」はこんなものだった!

総本山・善通寺の門前に明治29年から店を構える「熊岡菓子店」が、今も頑なに昔ながらの味を伝える「堅パン」がそれ。当時は、「塩味で、そんなに美味しいものでもなかった」と店の女将は仰るが、今は多少、甘味もついて近所の子供達のおやつとして人気がある。

とにかく、堅い。口に入れて暫く唾液を含ませてやらないと、いきなり噛んだら歯が折れそうなほど堅い。でも口の中にほんのり残る味わいは正に「パン」。

量り売りで、昔懐かしい紙の袋に入れてくれる。初代から「儲けに走るな、味を落とすな」と言われ、今でも一枚、値段は15円から。何一つ、製法は変わらない。変わったのはパンを焼く釜が「薪」から「ガス」に変わっただけ・・・と、女将の言葉。

僕も嫁さんも大好きな、香川の味の一つだ。



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